阿部一二三の高校や大学の経歴!学生時代のエピソードまとめ

東京オリンピックの代表選考がいろいろな競技で行われていますね。

今回は柔道で注目の阿部選手の高校生時代から現在の大学生活について改めて迫ってみたいと思います。

まだ、阿部一二三選手についてよく知らないという人はこれで、もう阿部選手マニアになれてしまいます!?

まず初めに柔道を始めた小学生のころから振り返っていきますね。

そして、中学生・高校生、現在の大学生時代についてみていきたいと思います。

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阿部一二三の小学~中学までの経歴

6歳の時に、地元の兵庫少年こだま会柔道部に入り、阿部一二三少年は柔道を始めました。

柔道を始めたきっかけは何だったのでしょうか。お父さんに勧められからでしょうか。

きっかけは、以外にも、私たちと同じように、偶然テレビで柔道の試合を見て、漠然とした憧れを抱いたことでした。

純粋に「面白そうだ」「やりたい」と第一印象として思ったようです。

柔道を始めた6歳の阿部少年は、当初、道場に行くのが怖かったと本人が告白してくれています。

それもそのはず。小さな阿部少年よりも、道場には身体が大きな子供もたくさんいますね。

背の低い自分が下から背が高くて、がっちりと体格のいい男の子を見上げた時の風景を想像してみて下さい。

きっと圧倒されて、阿部少年と同じように、おっかなびっくりになってしまうのではないでしょうか。

また、小学2年生のときには、試合で、同い年の女の子に負けてしまいます。

その敗戦を阿部少年はとてもとても悔しく思うのです。

それをきっかけに、大きく変化し、練習以外の時間にもトレーニングに打ち込むようになるんです。体幹を鍛え、さらに柔道の基本となる動きを鍛える内容の独自のトレーニング方法です。

それは、以外にも、筋肉を鍛えて力をつけるトレーニングではなかったんですね。

いやー、大変驚かされました。このトレーニングはお父様が内容を考え、一緒に取り組んでくれたようです。

まだ小さな小学生には、メニュー内容を自分で考えられません。

何よりも一人ではなかなか続けていくのは難しいですから。

きっとお父さんは息子のためにと、自分の水泳の経験、他人に教えてもらったり、文献を調べたりして得た知識を基にして、どんなトレーニングをどうすればいいのか考えてくれたはずです。

そして、何よりも、精神面のサポートもして、応援してくれていたはずです。

その成果が出てくるのが、中学生時代ですわよ。

小学生時代には、全国大会に出場できず、ものすごくと悔しかったと、阿部選手は話しています。

その悔しさをバネに、中学では「日本一になりたい」と強い気持ちをもって練習に励みます。同級生と遊ぶこともなく、ただひたすら柔道に打ち込む日々を送りました。

2011年の中学2年で、全国中学校柔道大会男子55㎏級で優勝します。2年生であるにもかかわらず、年上の3年生に勝って、優勝ですよ。

身体の成長もありますが、驚いてしまうほどの大躍進です。本人も「その頃から、自分が日に日に強くなっていくのを実感しました」と述べています。

「以前には、投げられていた相手にだんだんとなげられなくなり、ついには投げることができるようになりました」。

「身体の成長に伴って塚らがついていくのを、自身も感じ、この時が、柔道人生における成長期だった」と、更に続けています。

もう、私たちもでうれしくなってしまいます。努力は裏切らないというわけです。

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阿部一二三の高校の経歴

高校は地元の神港学園神港高校に進学します。

身体の成長により、階級は66㎏級に上がりました。2014年全国高等学校柔道選手権大会男子73kg級で優勝、続く全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会の男子66kg級で優勝し、第2回ユースオリンピック競技大会の男子66kg級でも優勝しました。

小学生の頃の阿部選手からは想像もできないような強さです。

「いつも自分の柔道をする」ことを意識し、自分のスタイルである「前に出る柔道」「思い切った柔道」を貫き、すべての試合で出し切った成果と、自ら語っています。

高校2年生になると、シニアの大会にも出場するようになります。

この頃から、阿部少年は多くの柔道ファンの注目を集めるようになり、知名度もグーんと上がりました。

2014年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会や柔道グランドスラム東京はテレビでも放送されましたね。

この二つの大会で優勝し、阿部一二三選手の名前を多くの人たちが知るきっかけとなったのではないでしょうか。

本人にとっても高校時代で最も印象に残っていることでしょう。

そして、高校3年になると、研究されたこともあり、なかなか優勝できず、何か一歩足りないという日々が続きます。

その結果、ヨーロッパ遠征や柔道グランドスラム東京の代表選手からも落選してしまいました。

あの高校生はどうしているのだろうと心配する柔道ファンも多くいました。もちろん、私もその一人です。

オリンピック3連覇の偉業を成し遂げた柔道家野村忠宏さんも、阿部選手の戦いぶりを残念に思っていたようです。

期待が大きいだけに「何やっているんだ」とイライラしていたはずです。

この頃、テレビの番組で、野村さんが阿部選手に熱血指導しているのを私は見ました。伝家の宝刀背負い投げを伝授していましたね。

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阿部一二三の大学の経歴

阿部選手は2016年に東京の日本体育大学に進学します。

「東京に出て、ゼロからスタートしたい」との思いからでした。もちろん、軽量級の層の厚さ、整った練習環境なども選ぶ基準になったはずです。

そして、「自分に一番合う環境だ」「ここならさらに強くなれる」と判断した結果です。

大学に進学してすぐの4月に、全日本選抜柔道体重別選手権大会に出場します。

ここで、海老沼選手を破り、優勝を果たします。

この優勝により「リオデジャネイロオリンピックの柔道男子66㎏級の代表は阿部選手だ」と私は大喜びをしました。

全国の多くの阿部選手を応援している方々もそう思ったはずです。

しかし、本人は冷静でした。「一次選考の2015年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で負けてしまっているので厳しい」と判断していました。

残念ながら、阿部選手は、リオデジャネイロの畳を踏むことはできませんでした。でも、その悔しさがその後の快進撃へと繋がっていくのです。

2016年の柔道グランドスラム東京で優勝、2017年2月のグランドスラムパリで優勝、4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会でも優勝し、二連覇となります。

その勢いのまま、世界柔道選手権大会(ハンガリー:ブダペスト)66kg級で初優勝し、12月の柔道グランドスラム・東京でも66kg級で優勝と向かうところ敵なしですね。

2018年になると、柔道グランドスラム・エカテリンブルグ66kg級で優勝、世界柔道選手権大会(アゼルバイジャン:バクー)66kg級で優勝し、二連覇を達成する。柔道グランドスラム大阪66kg級で準優勝となり、2019年全日本選抜柔道体重別選手権大会66kg級でも準優勝に終わります。

東京で開催となった世界柔道選手権大会66kg級では3位となり、2018年には東京オリンピックの代表が確実と思われていた男が、オリンピックの代表の可能性がほぼなくなりかけていました。

その後、柔道グランドスラム大阪66kg級で優勝し、代表選考レースに踏みとどまったんですね。

阿部一二三の学生時代のエピソード

2018年10月に兵庫県のベイコム総合体育館での柔道全日本学生体重別団体でのことです。

この大会で、日本体育大学柔道部が、決勝戦で筑波大学に3-1のスコアで勝ち、初優勝を飾ったのです。7階級で争う団体戦に、阿部選手は、3回戦から登場していました。

そして、決勝までの4試合で2勝2引き分けだったんです。

大将を務めた阿部一二三選手は、「みんなで頑張ってよかった。緊張したけど、楽しく試合ができた」とコメントしています。

準々決勝の明治大学戦と準決勝の国士舘大学戦は、阿部選手が一本勝ちしなければ敗退が決まる危機的な場面での登場となりました。

阿部の活躍により、敗退が迫りくる状況から一転、日本体育大学は優勝を手にしたのです。だが、そんな時にも、阿部選手は仲間に感謝し、「いつも助けてもらっているから」と述べています。

団体優勝は、日本代表としての活動が多い阿部選手の大学生活での目標であったようです。

そんなときに、日ごろの感謝を、こんな風にチームの勝利へ導くことで部員に返しつつ、インタビューにおいても堂々と感謝を口にする。

日々、柔道部員が阿部選手の練習面で様々なサポートをしているに違いありません。

そんな多くの仲間にとっては最高のプレゼントになったはずですね。行動と言葉で感謝を形にする。なんとも頼もしい阿部選手です。

まとめ

東京オリンピックの柔道66㎏級の代表の選考レースに参加するほどの柔道家にまで成長した阿部選手の柔道人生についてみてきました。

道場に行くのを怖がっていた6歳の男の子がどのように成長してきたのかが伝わりましたか?どんなに、強くなろうとも、いつも支えてくれる仲間への感謝の気持ちを忘れないところにも、強さの秘密があるように思いました。

丸山選手との戦いに勝ち、ぜひとも東京オリンピックの代表となって欲しいものです。みんなで、今後の阿部一二三選手の活躍を見守りましょう。

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